社会全体が「学校」

学びは、世界中のあちこちにある

学びの場は世界中に、どこにでもある。

そして、毎瞬毎瞬、必要なことは、目の前に現れている。

「学校」という形があってもなくても、
自分に必要な学びを、自分で選んでいくことができる。

入学も、単位も、卒業も、自分で決められたら

ある方が、こんなことを言っていました。

「社会全体ががっこうで、
子どもはあちこち自分で出かけていって、
学校でいう『単位』のようなものをあつめてきて、
じぶんがしたいことがわかった時点でそつぎょう、
みたいなことがしたいな。」

なるほど。
私も、似たようなことを考えていました。

特定の場所はなくても、学びの場はできる

どこか場所を決めて学びの場を開くことも、できたらいいな、という思いはあります。
それが一緒にできる仲間が見つかるといいな、と。

だけど、特定の場所にこだわらず、
距離を越えて、地域を越えて、
出会うべく人と出会うという形も、
ありなのかもしれません。

これからどんなカタチになるかはわかりませんが、
ゆっくり・じっくりと、必要な人とつながっていけたら、と思います。

※2010~2017年に書いた前のブログから抜粋して、加筆修正したものを、投稿しています。

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