自分が存在する場が「学びの場」になる
2015年3月、兵庫県の000グローバル・ビジョンの児島一裕さん(うーたん)の、第2回シン・デモクラティック スクールセミナーに参加してきました。
前回、第1回目に参加したのは、2014年12月でした。
前回と同じメンバーとも再会ができ、話していく中で深まっていく感覚がありました。
その場で、いくつかのヒントをいただきました。
自分が存在する場が、「学びの場」になる、ということ。
これは、以前からもっている感覚でしたが、さらに、その感じが深まった気がします。
フリースクールは、学校にないものを補う場所ではなく、本来の教育を提供する場
そして、「学校」に関して。
公教育以外の学びの場、言い換えると「フリースクール等」は、「学校の補完的な場所」として存在するのではなく「本来の教育を提供する場所」であり得るということ。
そういうふうに、なろうとしているし、なってきている、ということ。
そのことを、自分の中で確認しました。
建物や場所のある「学校」に限らず、本来の生き方の実現を、様々な形でやっていくような、様々な場。
年齢に関わらず、子どもも、大人も、どう学び、どう働き、どう生きていくか・・・ということを、実現していく場。
それぞれの「本来のカタチ」を見つけて、実現していく場。
場所のある学びの場と、場所のない学びの場
私自身も、そんな「学びの場」を開いていきます。
それも、次の2つの方向の、どちらもやっていこうと思っています。
1、場所を定めないで、その時その時のご縁で、開いていくもの
2、場所を定めて、常に存在する「場」
それが言い換えると「学校」になるのかもしれません。これから、その2つは、きっとつながっていきます。
※2010~2017年に書いた前のブログから抜粋して、加筆修正したものを、投稿しています。
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