韓国オルタナティブ教育の旅(2013年5月)~オルタナティブスクールやエコビレッジを訪ねて

はじめに

2013年5月、友人たちと誘い合わせて、「韓国オルタナティブ教育の旅」に行ってきました。

現地での日程は、2013年5月23日(木)~26日(日)の3泊4日。
23日の昼すぎに釜山で現地集合。
私たちは、下関~釜山のフェリー(夜行)で往復したので、実際には5月22日(水)~27日(月)の5泊6日の旅でした。

今回の旅のメンバーは、4家族・12人。大人が6人、子どもは0歳・幼児・小学生・中学生を含む6人でした。

現地では、釜山からレンタカーを借りて、韓国南部の茂朱(ムジュ)→霊岩(ヨンアン)→海南(ヘナン)と3ヶ所の町を訪問。
ホームスクーリング家庭、オルタナティブスクール、エコビレッジ(共同体)などを訪ねて、交流しました。

長い距離を移動して、いろいろな人と会って、毎晩遅くまで話して・・・あっという間の4日間でした。

今回のコーディネーターは、韓国出身・福岡在住の友人、オハイオさん。
行先のアレンジ、通訳、そして車の運転まで、一手に引き受けてくださったおかげで実現した旅でした。
出会った人たちと、たくさん話ができ、いろいろな気づきを得ることができたのは、オハイオさんの存在のおかげでした。

この記事では、今回の旅のことをふりかえってみます。

帰農とホームスクーリング

移住者・帰農者の多い地域へ

最初の訪問先は、全羅北道の茂朱(ムジュ)。

私たちが訪ねたところは、帰農者の多い地域だそうです。
もともと住んでいた人たちが都会に出て行ったところに、帰農者、つまり、地域の外から移住してきて農に携わる人が何組も入ってきて、帰農者を中心に村を構成しているそうです。

そこに住むジャンさんファミリーを訪ねました。
家族構成は、夫婦+息子さん・娘さん(どちらも現在は20代)。ソウルから帰農し、子どもさんをホームスクーリングで育てたそうです。
また、田舎で暮らしながら、農業・料理・教育について感じたこと・学んだことを、本に書いたり、講演したりしているそうです。

都会から移住してきた一家の自給的な暮らし

私たちが泊まったのは、ここ。空家になった家を、ジャンさんファミリーがゲストハウスにして管理しています。

一緒に料理を作って、食べて、ともに時間を過ごしながら、いろんなお話をしました。

韓国風のおにぎり作り。梅干しでなく、酵素の梅と味噌を混ぜたものを入れました。

サラダの材料集め。畑の野菜と、その辺りから集めてきた野草。
どれも柔らかくて美味しかったです。

コチュジャン作り。米飴みたいなものと、トウガラシ粉、納豆粉、塩を合わせます。

せっかく田舎に移住したのに、わざわざ遠くの学校に通うのはもったいない

ジャンさん一家の娘さんは中学校から、息子さんは小学校から、ホームスクーリングだったそうです。

子どもさんの希望で始めたそうですが、せっかく田舎に来たのに、遠くの学校まで通わないといけないのでは、何のために田舎暮らしをしているのかわからなくなると思ったから、と言われていました。

現在、20歳の息子さんは、一緒に生活しながら、両親から農業の基本を学んでいるそうです。
25歳の娘さんは、ソウルへ。田舎ではパートナーを見つけるのが難しいので、探しに出かけていると、親御さんは言われていました。

ホームスクーリングを始めて、変化したことは?

オハイオさんの通訳を通して、ご両親といろんな話をしましたが、次のような話が印象に残りました。

■ホームスクーリングにして変化したことは、家族間で何でもオープンに話すようになって、夫婦げんかがなくなったことと、子どもを急かすようなことがなくなったこと。

■子どもが自分で何かを「したい」と言ってきたときには、それは本気でそれをしたいときなのだから、全面的にバックアップする気持ちでいた。

■生きていく上での経験や技術などは、大人の方が先輩だけど、魂は、そうとは限らない。
子どもが大人から学ぶこともあれば、大人が子どもから学ぶこともたくさんある。

言葉は違っても、気持ちは通じる

話す言葉は違っていても、一緒に料理したり、畑に行ったり、散歩したりしていると、不思議と通じてくるような気がしました。

また、夜の時間には、プハン(吸い玉)や、針・灸も登場。
韓国では、こういった自然治療の道具を普通の家庭でも持っていて、日常的に使うというのは、よくあることだと聞きました。

ここで1泊して、翌朝は、同じ茂朱(ムジュ)にある、オルタナティブスクール・プルンクム高校を訪問しました。

全寮制のオルタナティブスクール・プルンクム高校

受験競争が激しくなる時代に、高校のオルタナティブスクールが登場

韓国では、1998年頃、全国的に、オルタナティブスクールを開くのがブームになったそうです。受験競争の激化で、高校は大学へ行くためのものとなっていく中で、その代替として、高校を中心に、オルタナティブスクールが登場してきたそうです。

プルンクム高校は、1999年に開校したので、今が14年目(2013年時点)。
廃校になった小学校を利用した、1学年40人・全校で120人の、全寮制の高校です。

元小学校の建物と、手作りの校舎が点在

プルンクム高校のメインの校舎は、廃校になった元小学校。
そのメイン校舎以外に、校内のあちこちに、先生と生徒で一緒に建てたという建物が点在していました。

校内で出会う生徒さんたちが、みんな、親しそうに挨拶してくるのが、印象的でした。

韓国では、オルタナティブスクールに国の補助がある

最初は、手作りの小さな学校からスタートしたそうですが、地域から歓迎され、市からもサポートがあって、国に認可された学校となって、今は補助金も出ているそうです。

韓国には、オルタナティブスクールをサポートする法律があり、認可されると補助金が出るそうです。認可されるには、4割は国が決めたカリキュラムを実施し、6割は学校独自のカリキュラムを実施する、ということが条件だそうです。

プルンクム高校は、環境と生態系をテーマとしているので、独自のカリキュラムには、例えば、自然にやさしい農業や建築、料理といった科目もあるそうです。

どんなスタイルの学校も、それぞれの役割がある

テラスで甘酒をいただきながら、学校の先生方と、こんなお話をしました。

■韓国におけるオルタナティブスクールは、全体から見ると1%の存在だけど、オルタナティブスクールがやっていることを見て、既存の学校が影響を受けている。

■この学校の卒業生は、約9割が大学へ進学する。オルタナティブスクールの生徒は集中力があるので、大学に行きたいと思ったら、集中して勉強している。

■大切なのは、対話。子どもが解決できない問題があるときには、大人はちょっとしたアドバイスをするだけ。

■学生から提案があったときには、学校はほとんど受け入れている。大人が気をつけることは、主に安全面のこと。

■ホームスクーリング、オルタナティブスクール、普通の学校・・・ どんな場がいいのかは、子どもによってそれぞれ違うので、選んでいくしかない。
それを一番わかっているのは、家族。完璧な場はないので、足りない部分を保護者が補っていくしかない。いろんな選択ができるようになったらいいと思う。

■ホームスクーリングの場合は、一般的に、本人の集中力や満足度は高いけれど、多様な人との交流をしていないことが多く、社会へ出て行くときの課題だと思う。弱い部分を補う必要があると思う。

■学校が大きくなって、安定してきたけれど、規模が小さい方ときの方が面白かった。

いろんな場、いろんな選択肢があるけれど、それぞれに違いがあり、役割があるということ。
お話の中で、そんなことが少し見えてきたように思いました。

新しい学校や先生の数は、まだまだ足りていない

プルンクム高校に限らず、オルタナティブな高校は、入学希望者が増えているのに対して、学校の数・先生の数は足りていないと言われていました。

「教育学部を卒業しても、教員になれずに待機している人が多いので、卒業後に、起業するような学生が増えたらいいと思う。新しい学校は、もっと必要とされているのだから」

先生は、そんなふうに言われていました。

プルンクム高校、ちょっと寄り道するだけのつもりが、話しているうちに、2時間以上も長居していました。

さて、次の目的地は、霊安(ヨンアン)。約4時間のドライブです。

次の目的地へ向かう途中の、お昼ごはん。
食堂で、メインを1品頼むと、これだけおかず(キムチなど)がついてきます。
おかずもごはんも、おかわり自由

エコビレッジの中の学校

エコビレッジを訪問

滞在2日目の夜は、満月がきれいでした。

この日の訪問&宿泊先は、霊安(ヨンアン)にあるエコビレッジ。
瞑想団体が運営するエコビレッジで、設立3年目。

ここに住む人たちは、「瞑想=自分を知ること」を共通のテーマとして生活し、1つの村として成立しています。

こんなふうに、それぞれの家族のお家が並んでいます。
コミュニティーセンター兼食堂の建物もあって、食事やミーティングなどに使っています。

翌朝、畑でトウガラシの芽かき作業をお手伝いしました。

エコトイレを見学。もみがらとEMを入れてるので、においはほとんどありません。
ゲストハウス以外の各家庭にはトイレがないため、共同で、このエコトイレを使っているそうです。(畑の肥料になります)

エコビレッジの中に、オルタナティブスクールがある

村には、いろいろな得意分野を持った人たちが集まっているので、この村の中に、病院、そして、学校(オルタナティブスクール)もあります。

学校の名前は、「ソンエ学校」。
姉妹校が他の村にもあって、全部で3校。
その3校をまとめて校長をしているのが、キム・ジェヒョンさん、通称ビッサルさんです。

ビッサルさんは、人格者として、みんなから信頼されています。
地域に小さな図書館を作ったり、「ふろしき学校」という名前の子どもたちのネットワークを作ったりしているそうです。
ふろしき学校とは、「ふろしきを広げて集まったところが、どこでも学校になる」という考え方。
手を挙げた人が自主的に集まるネットワークだそうです。

ソンエ学校は、最初は、エコビレッジの住民のために開いた学校だったそうですが、今は、村の外から子どもだけが山村留学のような形で入ってくるケースもあるそうです。
その場合は、どこかの家庭にホームステイするそうです。

東アジア人としてのアイデンティティの確立をベースに

ソンエ学校の根本にある思想は、東アジアにもともとあった思想。
瞑想や農業などをベースに、人格者を育てることに重きをおいているそうです。
国を越えて、「東アジア人」としてのアイデンティティの確立を目指しているので、中国や日本などへの旅もカリキュラムの一つとなっています。

夏休みには、韓国・中国・日本の3ヶ国の子どもたちのサマーキャンプを計画しているとのこと。

ちょうど、私たちが訪ねたときは、4人の女子中学生が、九州へ旅行に行く計画を立てていました。
大人は同行せず、自分たちだけで、約2週間の旅をする計画を立てていると言われていました。

社会全体が学びの場

滞在3日目の宿泊先で、今回の旅の最後の訪問先は、韓国の南西部・海南(ヘナン)にある微細村(ミセムラ)のエコビレッジでした。

旅から戻って、エコビレッジをはじめる

エコビレッジを主催する若者の中心人物は、今回の旅のコーディネーターであるオハイオさんと大学で同期だったというダンさん(30代)。
まだ始めたばかりの小さなエコビレッジで、テント生活しながら農業しているので、「キャンピング農業」だと言っていました。

小学5年生の頃から家を出て、旅にも出て、30歳になって戻ってきたというダンさん。
ホームスクーリングというより、社会全体が学びの場みたいな育ちをしたそうです。

教育で大切なことは、自分で質問することを学ぶこと

オハイオさんとダンさんとのやりとりの中で、いろいろと深い話にもなっていたみたいで、通訳大変だろうな・・・と思いましたが、心に残った言葉が1つありました。

「自分で質問することを学ぶこと」
それは、「自分で変化をする練習をすること」。
オルタナティブ教育のポイントもそこにある、という話でした。

子どもは自分で育つ。親は自分自身を育てること

ダンさんと話をした翌日、ダンさんの両親が来られました。

この写真の建物は、ダンさんのお父さんが建てたもの。
お父さんは、もともとは牧師さんでしたが、安定した仕事を辞めて田舎に移り住み、レストラン(参鶏湯(サムゲタン)の専門店)をしながら、その収入で建てたそうです。

息子さんが家を出たときも、両親ともに、そっと見守っていたそうです。

「自分も、若い頃に家出をしたことがあるから。理由は単純。他の世界がどうなっているかを見てみたいと思ったから」と、お父さん。

「子どもは自分で育つもの。大事なのは、両親が、自分自身を育てること。それができれば、子どもは自分でうまく育つ」と。

そんなお父さんの夢は、年をとったら、子どもたちを預かって、日本の山村留学のようなことをやることだそう。
韓国のオルタナティブ教育の雑誌「ミンデレ(タンポポ)」で、日本の山村留学が紹介されていたのを見て、そのことを考えるようになったそうです。

韓国でも、都会で生まれ育って、帰る田舎のない人たちが増えているそうです。
「田舎のおじいちゃん・おばあちゃんのような存在になりたい」と言われていました。

おわりに

以上、2013年に韓国のオルタナティブな教育や生き方を選択している人々を訪問した旅で、見たこと、感じたことをまとめてみましたが、いかがでしたでしょうか?

まさかこんなに濃い旅になるとは、行くまでは、想像がつきませんでした。
個人ではとても出会えなかったような人たちと、こうして出会うことができ、お話もできたのは、この旅をコーディネートしてくれたオハイオさんの存在があったからこそでした。

この旅は、韓国の新しい教育や、新しい生き方に触れる、始めの一歩だったかもしれません。

最後までお読みくださり、ありがとうございます。

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