APDEC2017東京②〜各国のデモクラティックな教育

2017年8月1日~5日に開催されたAPDEC2017 in東京 (Asia Pacific Democratic Education Conference)

5日間、毎日いろんな企画が進行していました。

午前中は、毎日、テーマを変えて基調講演があります。デモクラティックな教育をめぐる様々な報告を聞くことができました。
イギリス、オーストラリア、韓国、台湾、イスラエル、インド、日本と、各国の事情を聞くことができました。同時通訳付きだったので、内容が理解できて、とてもありがたかったです。

各国のデモクラティック教育事情

基調講演で聴いた各国事情について、自分が理解した範囲ですが、印象に残ったことを書いてみます。

イギリス〜そもそも自由とは?

世界で最も初期のデモクラティックスクールである「サマーヒルスクール」の運営スタッフ・ヘンリーさんからの報告。

デモクラティックスクールの基本である「自由」。
そもそも「自由」とは何か?サマーヒルにおける「自由」とは?

自由とは、子どもが自然に育つこと。子どもにとって必要なもの。
だけど、自由に育つことは必ずしも幸せとは言えず、そのままだとこわいものでもある。(例えば、誰かが上に立ったり、支配することもある)

個々の自由を守るために、自分たちで創り出したルールがあり、ミーティングがある。

では、ルールとは?ミーティングとは?

オーストラリア〜遊びを通して世界を理解

シドニーの「カランべーナスクール」のセシリアさんより。

オーストラリアとニュージーランドのオルタナティブスクールのネットワークも作っている。

オルタナティブな学校の財源の確保や、学校や居場所を開設することに関して、国の規制がある中で苦労してきた話・・・など。

遊びは世界の一部。自由な遊びがあってこそ、人は世界を理解できる。
自然の場所で子どもだけで遊ぶことの重要性や、子どもたちが自身を発揮できる場所を見つけることが親の役割である。

イスラエル〜社会の中で学びができる「エデュケーション・シティ」

イスラエルのヤコブさんより。

30年ほど前に、イスラエルで初めてのデモクラティックスクールをスタートさせた人であり、デモクラティック教育の世界大会であるIDECを呼びかけた人でもあります。

イスラエルでは、今では、デモクラティックスクールという言葉を知らない人はほとんどいないくらい、全国に普及している。

「エデュケーション・シティ」:生涯にわたって、人とのつながりの中で自分の学びができる、社会の仕組みづくりを広げている

しかし、デモクラティック教育が一番ではない、もしかしたら間違っているかもしれない、と思うことはとても大事で、自分自身も今も学び続けている。そして、そこがスタートになる。

そもそも、デモクラティック教育とは?デモクラティックスクールとは?デモクラシーとは?・・・それぞれ、少しずつ意味が違っていて、これらを自問することがスタート。

インド〜対話の中で答えを発見するのが、もともとあった学びの文化

インドのアムクタさんより。
女性で、子ども中心の教育に長年携わってきた人。モンテッソーリスクールの校長も務め、今は、オルタナティブスクールなどのスタッフ養成をする学校の代表を務める。

インドには、植民地時代よりずっと以前から、そもそも学びの文化があり、それは、グル(導師)と弟子の関係で成り立っており、対話をする中で、自分で答えを発見するという学び方で、学びたいことを学ぶことができていた。

今は、学ぶ文化から教える文化に変わり、昔の学びの文化は失われてきた(古典芸能などの一部では残っている)。

1970年代から、NGOなどが主導の「ノンフォーマルエデュケーション」の波があり、公教育を受けられなかった人たちへ、あるいは公教育から離れた教育活動が盛んになり、それには、デモクラティックな要素も含まれていた。

現在は、学校の中においても、すべての側面においても、デモクラティックな文化をどう根付かせるか?が課題である。

★来年(2018年)のAPDECの開催地は、インドです。

韓国〜オルタナティブスクールを生み出した教育運動と、現在の課題

韓国では、1990年代、社会は新しく変わろうとしているのに、教育の世界は変わろうとしていない、という疑問があった。
学歴主義・学閥主義のプレッシャーから、10代の自殺が社会問題に。その頃に新しい教育運動がはじまる。

この運動の主な担い手は、1980年代に民主化運動をリードしてきた世代(1960年代生まれ)。ちょうど親になった頃に、これまでの学校に疑問を持つようになった世代である。

そんな中、国の認可を受けない新しい形の小さな学校が、1996年にスタート。これが、韓国最初のオルタナティブスクールである、ガンジースクール。そして、この頃から、オルタナティブ教育運動がスタートした。

最初は、新しい高校を作ることからはじまって、義務教育の小中学校へも広がり、保護者主体で作る小学校や、共同保育所なども作られていく。

2000年代になって、オルタナティブスクールの人気も高まったけれど、お金がないと入れない、基準が明確でないので様々な学校が参入してきた、といった新たな問題も生まれる。

そして、オルタナティブ教育運動の初心を忘れてはいないか?そもそもどういう志で始めたのか?ということを、問い直し始めている。(初心は、本来の居場所を取り戻す、無知や偽りから自由になる・・・といったことだと言われていました)

また、韓国では、オルタナティブスクールに国の補助金が出る制度がある。政権交代で、若干の変更があり、今は、条件付きに?

台湾〜国がオルタナティブな教育を認可

1987年に戒厳令が解除されてから、様々な社会運動が盛んになる。
教育においては、体罰をなくす取り組みがはじまったが、現在でも、まだなくなってはいない。(制度の戒厳令は解除されても、人の心の戒厳令はなかなか解除できない・・・と言われていました。)

台湾も、他の東アジア諸国と同じく、入試や、校則が厳しいことなどが問題になる。

1994年に、台北で、最初のオルタナティブスクールがスタート。
1995年には、初めてのデモクラティックな中学校である「ホリスティックスクール」が誕生。当時は、親の寄付で校舎を建てたが、それは、当時としては違法。いつ撤去されても、逮捕されてもおかしくないリスクを覚悟しながら、継続する。
2000年には、民間の学校が設立できる法律ができ、それからは、条項を1つ1つクリアしながら、ホリスティックスクールは、認可された学校になる。

現在、台湾では、オルタナティブスクールの設立は法的に認可されるようになり、学校に行かないホームスクーリングも国の認可が受けられるようになっている。ホームスクーラーは、毎年どんどん増えている。台湾政府は、実験的な教育を支持している段階。

しかし、オルタナティブスクールは学費が高く、富裕層でないと行けない、ホームスクーリングの場合は、誰かが家庭にいなければいけない、といった問題がある。

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以上、覚え書き的なメモです。

私が一番興味を持ったのが、韓国と台湾です。社会的な背景も、抱えている問題も、日本とよく似ていると思いました。でも、解決の道筋・方法が、少しずつ違っています。

韓国の方が言われていました。制度を支えているのは、文化や人の態度である、と。
制度を変えていくには、それに見合った文化・態度が大切だという意味だろうな、と思いました。

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