「ひま」って何だろう?~オンラインお話会より~

10月から、月に一度、オンラインでお話会をしています。フリースクール木のねっこが運営する「子どもがつくる次世代型町内会」と、九州ホームスクーリングネットとの共同開催です。

あらかじめテーマは決めず、集まったメンバーから、近況報告と、この場で聞きたいこと・話したいことを最初に言ってもらってから、その日に話すことを決める、という流れです。

今月のお話会では、最初の話で、「ひまって大事」という話題が出たので、「ひまって何?」について話すことになりました。

面白かったのが、「ひま」という言葉1つとっても、人によって感じ方・とらえ方が全然違うということ。また、このことばにどんな感情が湧いてくるかも人それぞれ、ということもわかりました。

例えば、ある人にとって、「ひま」とは、やりたいことができない状態であること。これは、10代の人が言っていたんですが、これを聞いたときに、なんだか新鮮でした。
これって、どういう意味かというと、例えば、「学校で、ずっと座っていないといけなくて、他のことができない時間がひま」だったり、「車に乗って移動してるときに、他にすることがないからひま」、ということだそう。
これって、誰かに何かを制限されてるときに感じるのかな?うちの娘(ティーンエイジャー)にこの話をしたら、「むっちゃわかる!」と言っていました。

あと、「ひまがないと言ってる子どもが多いかも。そして、大人も、ひまにしてはいけないと思っているかも」「大人になってから、ひまはありがたいものだと思えるようになった」なども出てきました。「ひまとは?」の意味につながる、絵本を紹介してくれた人もいました。

私はというと、昔は、「ひま」は良くないことのような気がしていて、「ひま」があればそれを埋めようとしていたことと、人にもそれを要求していたことを思い出しました。
だけど、ひまが良くないものだという感情は、そもそもどこからはじまったのかなあ・・・。

今は、「ひま」は、自分が自分になるためになくてはならない時間だと思っています。
自分の時間は、本来自分のものなんだし、誰かに決められるものじゃない、と思えるようになったからです。

「ひま」であることを、自分の中で十分に満喫して、もうがまんできないくらいになったときに、ほんとの意味で自分の中から何かが生まれてきたり始まったり・・・ということがあるんじゃないかな、と今なら思います。

そんなことを考えていたら、ふと、思いました。

そもそも誰のものでもない、もともと自分のものである時間というもの。それが、本来はたっぷりあることに気づいたときだったり、誰かの都合で動いていたものが本来の場所(自分のところ)に戻ってきたとき。そんなときに、「ひま」って感じ始めることがあるのかも。

だとしたら、「ひま」と感じることは、自分が自分であるという証拠なのかも。

この感じ方、捉え方、人それぞれなんだろうな。

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