DMZとは、武力の合間の平和で豊かな世界
東アジア地球市民村の2泊3日の集いが終わったあと、
DMZ沿いのコースを歩く、4泊5日の平和巡礼ツアー(2019年5月26~30日)がスタートしました。
日本・韓国・中国・台湾からの参加者・スタッフ合わせて、約90人で、
4泊5日の旅を、ともにします。
ところで、DMZとは、そもそも何でしょうか?
最初に、韓国の主催者の方から、説明がありました。
DMZ=Dimitarized Zone
武力の影響のない地域のこと。非武装地帯とも呼ばれます。
1950年の朝鮮戦争のあとに、南北の軍事境界線が決められ、
その線に沿って南北2㎞ずつにわたって設定されたのがDMZ。
ここでは戦争をしてはいけないので、人が入ることもできません。
そのため、結果として70年間、人が入っていないその地域は、
豊かな生態系が守られ、野生動植物の宝庫となっています。
武力の衝突する真ん中に、平和で命の豊かなところが生まれている、ということです。
でも、現実には、地雷が埋めてあったりもするので、簡単には立ち入ることができません。
私も、DMZって何なのか、あまりよくわかっていなかったので、このお話を聞いて驚きました。
DMZ沿いには、自然豊かな遊歩道が整備され、ウォーキングのコースにもなっているそうです。
また、主催者の方が、こんなふうにも言われていました。
南北の軍事境界線がなくなったあとに、
このDMZのような平和な地域が、南北2㎞ずつではなく、
もっともっと先まで広がって欲しい。
それが、これからビジョンです。
その祈りの旅が、今回の4泊5日の旅です。
移動しながら、それぞれに意味のある場所を訪れます。
DMZの旅で訪れた場所
バイオダイナミクス農法の農場
初日の宿泊先は、国境に近いポチョンという町にある平和木農場。
40年前から、約2haの土地で、仲間と一緒に施設を建て、バイオダイナミクス農法で循環型の農業を営んでいるそうです。
泊まった翌朝、雨の中、農場のオーナーさんに、農場内を案内していただきました。
牛や豚、蜂を飼い、雑穀や野菜を60種類以上。食べるものは、ほぼ自給。朝ごはんも、農場で焼いたパンにジャム、古代米のご飯、みそ汁、生野菜、ヤギのミルクなどでした。
研修施設もあって、かなりの人数泊まれそうですが、私たちは90人なので、もうすでにいっぱい。コンクリートの床にマットを敷いて寝た人もいました。
北朝鮮とつながっていた鉄道の路線
バスで農場をあとにして、向かった先は、
京元線鉄道の中断点(白馬高地駅)。
もともとは北朝鮮と繋がっていた線路ですが、ここで分断されています。
24時間警備の展望台
鍵展望台。「鍵」は、統一の鍵の意味。 DMZのすぐ外側で、軍の人が365日24時間体制で守っています。
ここに行く途中に、警備しているゲートを越える場所もありました。
そんな緊張した場所ですが、DMZの中は自然の宝庫。晴れてたら北朝鮮まで見えるそうです。
イムジン河沿いのウォーキングコース
食堂のお昼ご飯。おかずはみんなでシェア。各自、ご飯とスープが付きます。
午後は、DMZ近くのコース約6kmのウォーキング。
イムジン河沿いの道。
下流は韓国で、上流が北朝鮮。
整備されたコースなので、気持ちよくウォーキングできます。
日本・韓国・中国で、DMZの歴史の話をシェア
この日は、公民館に泊まりました。
この地域で自然農をされている農場主さんのお話がありましたが、自然農を始めるに至るまでのお話が、まるでドラマのようでした。
また、夜は、遅くまで、
DMZができるに至った日韓中の歴史について、
20人くらいの人たちと輪になって話をしていました。
歴史の話、捉え方の違い、感覚の違い、自分はどう考えているか…など、だんだんと深い話に。
通訳できる人を介しながらだったので、
なかなかわかりにいところもあって、
私は途中でリタイアしましたが
かなり遅くまで語り合っていたようです。
それにしても、東アジアの人たちとこんな話ができることがすごい、と思いました。
何はともあれ、まずは話すことがスタートなんだと思いました。
自然農の農場見学
公民館に泊まった翌朝は、自然農の農場主さんと一緒に、農場をお散歩。
日本の川口由一さんの自然農を学んで、実践してきたという方です。
畑の野菜が、すごく生き生きしていました。
引き続き、イムジン河沿いのウォーキングコース
農場を出発して、
午前中は、昨日に続いて、イムジン河沿いのウォーキングコースを歩きました。
なかなかの気持ちのいいコースです。
普通に人が生活している、DMZ近くのエリア
午後は、DMZのすぐ近くのエリアへ。
このエリアに入るのに、検問があり、パスポートチェックもありました。
でも、中に入ると、人が普通に生活しています。
田畑があり、カフェや食堂もあり、観光バスが行き来して観光地にもなっています。
第3トンネル。
北朝鮮が秘密で地下に掘っていたトンネルの一つ。
中に入ることができます。
誰でも見学できるので、人もいっぱいでした。
お土産に、DMZをモチーフにしたグッズなども売ってて、不思議な感じでした。
(撮影禁止なので写真はありません)
都羅山展望台。
向こうが北朝鮮です。鉄条網も見えるけれど、森が広がり、その周りに田畑があり、家があり、穏やかな風景です。
都羅山駅。
平壌に向かう鉄道で、ここが最終駅。
そして、最終駅ではなく、北へ向かう最初の駅だと解説されていました。
北朝鮮、そしてそのまま中国、ロシアへとつながって、
いつか自由に行き来ができる日が来ますように。
農業・アート・循環型の暮らしを実践する街
この日の宿泊先は、田畑芸術学校。
7人のアーティストがコラボで始めたスペースで、
「農業の思いでアートし、アートの思いで農業しよう」というコンセプト。
アートをしたい人は誰でも学べる場所であり、
循環型でリサイクルできるような暮らし方を実践している場でもあります。
ギャラリーあり、ゲストハウスあり、イベントスペースあり、屋上で野菜や発酵食品を作り・・・
空間の1つ1つが、おしゃれでアート。
ゲストハウスの部屋も一つ一つ違っていて、私たちが泊まった部屋は、薪のオンドルがある部屋でした。
周辺にも、おしゃれなカフェやお店が集まっていて、町全体がアートのようでした。
夜はギャラリーで、参加型のフリーライブでした。
漢江から、対岸の北朝鮮を望む
田畑芸術学校を出発し、
本土から江華島(カンファド)に渡る大橋の近くで、自然公園の中を散策しました。
漢江(ハンガン)へ向かいます。
鉄条網があるので、川岸には降りることができません。
漢江を望む、公園のような場所へ。
対岸は北朝鮮。川の真ん中が国境です。
平和を祈って、踊ります。
全寮制のオルタナティブ・スクール「サンマウルスクール」
最終日の宿泊先は、江華島にあるサンマウルスクール(山村高等学校)。
国の認可を受けた、全寮制のオルタナティブスクールです。
循環型の暮らしを実践。
お米は100%自給、エネルギーは半分を自給。
特徴的なのは、施設や建物が全てエコ建築で、木や土などの循環する材料で作っているそうです。
各地から見学も多いとのことでした。
DMZツアーの振り返り
最後の夜は、振り返りタイムでした。
1人1人が、感想を話す時間になりました。
今回のツアーで訪れてきたところは、自然豊かな穏やかな場所。
だけど、川の向こうのすぐ隣の国へは、DMZを越えて行くことができません。
韓国の若い人たちも、DMZに来る機会は、なかなかないと言います。
あの鉄条網を実際に目にしたときは悲しくなった、と話す若者もいました。
でも、人と人はつながることができる。
近い将来には、軍の人の監視も、鉄条網もなくても、戦うこともなく、行き来も自由にできる。
そんな日が一日も早く来ますように。
これは、韓国と北朝鮮だけの問題ではなく、
私たちみんなにもつながってることだと、改めて感じました。
旅のおわりから、次のビジョンへ
DMZツアー最終日。
みんなの願いが集まって、木になりました。
さて、それぞれの場所へ、出発です。
次の旅は、南と北をつないで朝鮮半島を歩く旅へとつなげていきたいと、そんなビジョンを教えていただきました。
2022年を目指している、ということです。
クリエイティブ・スクール(旅の学校)のこと
さて、今回の東アジア地球市民村〜DMZツアーまで、
1週間ずっと一緒に過ごしたメンバーの中に、
ものすごくエネルギッシュな若者の集団がいました。
「クリエイティブ・スクール(旅の学校)」の学生とスタッフの皆さんです。
合わせて40人近くいたでしょうか。
学生さんは、10代後半が中心で、
高校を卒業したくらいの年齢の人が多いようでしたが、
年齢制限はないそうです。
3月から12月までのプログラムで、1年ごとに募集をするそうです。
国内でトレーニングしたあとは、世界中を旅しながら、いろいろなやりたい活動をするそうです。
今回のツアーの間も、
自分たちの寝るところは素早くテントを立て、
食事の準備もし、
素晴らしいパフォーマンスを演じ、
とにかくよく動くしエネルギッシュ。
スタッフの皆さんも若くて、誰がスタッフで誰が学生なのか、わからないくらいでした。
バトゥカーダ(太鼓の演奏)。ノリノリでかっこいい。
テントも、あっという間に立ててあっという間に片付け。早かったです。
校長先生も、明るくて豪快な、パワフルな女性で、すっかりファンになりました。
毎年12月には、一年間の報告とステージ発表があるそうです。
次回は、それに合わせて釜山行きを計画しています。
おわりに
以上、2019年に韓国で開催された
「東アジア地球市民村」のオプションツアーとして
DMZツアーに参加したときの様子の報告でした。
この報告を、しばらくたって読み返してみると
オルタナティブな教育、そしてオルタナティブな働き方や暮らしを実践している人と
あちこちで出会っているなーと改めて思いました。
そのことが、日本での暮らし方にも、
参考になるというか、励みになると感じています。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。
コメント