経験やスキルに関わらず、即興で弾くといいのは、なぜ?(ピアノレッスン受講生さんとの会話から)

こんにちは!

「れいちゃんの音でつながるコミュニティ」、れいちゃんです。

先日、ピアノレッスンのときに、受講してくださってるNさんと話したことが
あ!これは本質的な話だな!と思ったので、紹介させていただきます。

Nさんは、音楽療法のことも学んでおられて、
目の前の人との関わりの中で音や声を使っていきたい、と考えておられます。

スキルとか音楽経験の長さとかに関わらず、
「なぜ、だれでも即興で弾くことができるのか?」
「即興で弾けると、どんないいことがあるのか?」というお話です。

楽譜って、あった方がいいの?

目の前の人との間で、音が浮かんでくれば、誰でも曲が作れる

ーーーNさんは、楽譜が使えるようになりたいと話してましたね。どんな場面でそれを感じていますか?

音楽療法の曲にも楽譜があって、これが弾けたらいいな、と思うんだけど、難しいんですよね。

ーーー楽譜になってる曲も、もともとは、誰かが目の前の誰かに即興で弾いた曲かもしれないですよね。

音楽療法は、個人個人に向ける、というベースがあるから。
はたして、その曲が万人に向けて効力があるかといえば、そうではないし。

ーーー音楽療法する人は、そもそも作曲家であっていいですよね。

目の前の人に何か作用すればいいな、と思いながら、浮かんでくる簡単な旋律
それを弾くだけでもいいのかな、と思って。

私が心を込めて弾けば、その人をどうにかしたいと強く思わなくても
その日のその空気感と、その人との間の空気感で、自然と拾える音がある気がするので。
それをただ弾くということでいいのかな、と思えています。

楽譜は、あくまでも伝えるための手段

ーーー楽譜にある誰かの作った曲というのは、参考にはできるし、使えるなら使ってもいいけど、必ずしも取り入れなくてもいいですよね。

そうだよね。
なるほどね、とか、ふーんとか思って、真似をして弾いてはいるんだけど、
その音を体験してみて、なるほどね、で終わってる感じ。

でも、誰かに会ったときに、その曲が浮かんできて、合いそうだったら弾いてもいいだろうし。
そんな位置づけでいいのかな、と思って。

自分の中に浮かんだイメージを、音にする

ーーー楽譜のとおりに弾くことと、自分の中に浮かんだ音を弾くことは、頭の使い方が違いますよね。
楽譜の通りに弾くには、それを再現することに頭を使うから、考えることがすごく多いし。
だけど、即興で弾くというのは、自分の頭の中に浮かんだイメージを音にするということだから、違う頭の使い方をしてますよね。

例えば、ライアー*を弾くときは、押しただけきれいな音になるわけじゃないから、すごく難しいの。
自分のために曲を弾いてみたいと思っても、テクニックが必要で、
ちゃんと音が聞けていないと弾けないから、すごく頭が忙しいの。

*ライアー=木の枠に金属の弦が張られた、ドイツ発の弦楽器。もともとはシュタイナー教育で作られた楽器で、演奏のためではなく、治療や教育のために使われてきた。

だから、間違わないように弾こうとか、そういうこと考えることがなくなって、
知ってる音を、浮かんだまま、体が自然と動いていたら曲になった、みたいな感じで。

そういう感じが、心地よくて、すごくしっくりくるのね。

ーーー楽譜を見て再現するとか、耳コピでもそのままコピーするとか。
それはそれで面白さはあるけど、上手い人とそうでない人、正しさと間違い、という考えが現れてしまうことがありますよね。
そうではない、また別の発想でいったほうが、心地良いのかも
しれないですね。

それは、音楽をしてるしてないとかに関わらず、伝わるものでもあるのかな、と思う。
正しく弾こうとするんじゃなくて、
自分の気分とかアレンジとかも入れて弾いてくれた人の方が、
すごく心が動くし伝わるよね。

ーーー正しく弾こうとか、間違えちゃいけないとか、思わなくなると、人前でもそんなに緊張しなくなりますよね。

ほんと、そうだよねー。

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以上、レッスンのときのふとした会話でしたが、
私がふだん伝えようとしてることと、共通しているものがたくさんあると感じました。

もっと気軽に、音と仲良くなりましょう(^^)

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