日本・韓国・台湾のオルタナティブ教育〜「多様な学び実践研究フォーラムin九州」に参加して

  1. はじめに:「多様な学び実践研究フォーラムin九州」とは
  2. そもそも教育とは?そもそも学校とは?(基調講演より)
    1. これからの時代の「学び」とは?
    2. 「そもそも論」を話すことの大切さ
  3. 国境を越えて共に学ぶ・つながる~東アジアの多様な学び(分科会)
    1. 東アジアの分科会を企画した意図は
    2. <台湾>オルタナティブ教育の歴史
    3. <韓国>オルタナティブ教育を経験して見えてきたことと、東アジアのつながり韓国からのゲストは、おはいおさん。韓国出身で、現在は、九州在住です。
      1. オルタナティブ教育を経験して学んだ「生き方」
      2. 韓国と日本を行き来する中で、見えてきたこと
      3. 東アジアのつながりから、これからの世界のことを考える
    4. <日本>東アジアの中の日本のこと
      1. 大正時代の新教育運動から、現在のフリースクールまで
      2. 世界では、フリースクール=不登校の子どもが行くところ、ではない
      3. 日本の「不登校問題」とは、そもそも何か?
      4. 形が整うにつれて、幅が狭くなっていった日本の教育
      5. 学校に合わない子どもが「問題」とされるようになった理由
      6. 他の国には、日本のような「不登校」というアイデンティティは存在しない
      7. アジアで受験競争があるのは、コストのかからない方法だから
      8. オルタナティブ教育は、世界中でつながっている
      9. 日本の場合は、学校に行かない選択に、経済的な支援がない
      10. 自分の学びを、自分が作っていってOK
  4. おわりに

はじめに:「多様な学び実践研究フォーラムin九州」とは

2019年3月16~17日、多様な学び実践研究フォーラムin九州が開催されました。

これまで5回、東京と大阪で交互に開催されていたフォーラム。九州での開催は初めてです。

私も実行委員の1人として参加し、分科会の担当などさせていただきました。
わざわざ東京や大阪まで出かけて行かなくても、多様な学びに関する最新のお話が福岡で聞けるというのは、貴重な機会だと思いました。

そもそも教育とは?そもそも学校とは?(基調講演より)

最初の基調講演で、教育学者・汐見稔幸さんのお話がありました。
とてもわかりやすかったので、印象に残った部分を書いてみます。

これからの時代の「学び」とは?

講演のテーマは「多様な学びをひらく~AI時代の学びをどう考えるか」

汐見さんから、次のようなお話がありました。

同じ時代の同じ地球で、貧困で苦しんでいる人と、それとは無関係に生きていける人がいるのは、なぜなのか?地球はこのままでいいのか?
時代をより良い方向に変えていくということは、その時代に生まれたもののミッションではないか?
自分のことも、他人のことも、地球のことも、一緒に考えられることが大事なのでは・・・

今の大人が「当たり前」だと思ってきた20世紀の価値観やモラルが、21世紀の今は当てはまらなくなっている。

「そもそも論」を話すことの大切さ

そもそも人間とは?
そのそも社会とは?
そもそも教育とは?
そもそも学校とは?
そんな、「そもそも論」に戻ることが大事。
今のやり方が上手くいかないと思ったら、「そもそもは?」の原点に戻って考え直す必要がある。

「そもそも論」を人とたくさん議論する場が必要。

そもそも教育とは?学校とは?を考えたときに、学校の選択肢が1つしかないのはおかしい、ということになる。そもそも1人1人が違う人間なので、学校も多様にならざるを得ない。

そう考えると、フリースクール、オルタナティブスクールは、新しい時代の教育のモデル。
不登校の子どもが仕方なく行っている学校ではない。

AIの時代には、人間にしかできないことが、ますます重要になる。
例えば、人との豊かな関係の中で生きることや、
喜びや悲しみを人と共有すること、
感情の世界を豊かにすること・・・。

人は、他者をくぐることで、豊かになる。
これからの教育で大事なことは「対話」

以上、基調講演での汐見さんのお話からでした。

国境を越えて共に学ぶ・つながる~東アジアの多様な学び(分科会)

東アジアの分科会を企画した意図は

次に、私たちがQDEC(九州デモクラティック教育コミュニティ)の仲間と担当させていただいた分科会について、報告します。

テーマは、「国境を越えて共に学ぶ・つながる~東アジアの多様な学び」でした。

近隣の国のことを知ることで、私たちの置かれている立場や課題が客観的に見えてくるのでは?
異なる社会のことを知ると、自分の社会で当然と思っていることが、当然ではないことが見えてきたり、相対化ができるのでは?

そんな思いで、企画した分科会でした。

3人のゲストの方に登場していただきました。
台湾から、王美玲さん。
韓国から、おはいおさん。
日本から、朝倉景樹さん。

それぞれに報告していただいたあと、3人で対談。
実は、ゲストの3人、ご自分の話す内容はそれぞれで準備していましたが、お互いがどんな話をするのかを、当日まで知らなかったということで、その場のアドリブで対談してくださいました。

そのあと、グループに分かれて、ゲストに聞いてみたいことや感じたことを話す時間をとりました。
私はいつも、このようなお話会のあとには、できるだけ対話の時間をもつようにしています。
お話を聞いて終わりではなく、アウトプットすること、対話をすることで、それぞれの中で見えてくるものがあると思っているからです。

<台湾>オルタナティブ教育の歴史

台湾からのゲストは、王美玲さん。
日本に留学経験もあり、現在は台北の大学の日本語学科の先生で、オルタナティブスクールの比較研究をされています。
このフォーラムのために、わざわざ台北から飛行機で来てくださいました。

台湾のオルタナティブ教育の歴史を、次のように、年代を追って話してくださいました。

■台湾では、オルタナティブ教育のことを「実験教育」と呼ぶ。学校であるか否かに関わらず、とにかく実験的に教育を実施すること意味する。

■台湾のオルタナティブスクールは、主に、シュタイナーやモンテッソーリなど、海外の思想や独自の教育理念に基づいている。

■実験教育に関する法律が制定されたのは、2000年、2002年、2014年の3回。オルタナティブスクールは、最初は違法で始まったものだったが、2014年の段階ですべて違法ではなくなる。

■実験教育の形態は次の3つ。「1、非学校形態」「2、学校形態」「3、公立学校の民間委託(公設民営)」。一番多いのは、2番目の学校形態。

■学校形態の「実験教育」が最も多い理由の1つに、少子化によって人数の減った学校が、実験教育の申請をすれば補助金が出て、運営ができるから、というのがある。問題は、このように誰でも申請ができるので、オルタナティブ教育の区別ができなくなってきている。

■台湾で初めてのオルタナティブスクールは、1990年設立の森林小学校。1980年代の後半に、サマーヒルスクールの本が翻訳され、その本に感銘を受けた人たちが作った学校。学費がとても高くて、貴族学校だという批判も受けていた。

■1994年4月10日に「4.10教育改革デモ」という大きなデモがあった。学校教育の硬直化や学歴至上主義への批判から起こったデモで、少人数クラスの実現、高校と大学の増設、教育内容の現代化、教育基本法の成立などを訴える。このデモの中心となったのは、大学教授など、主に社会的な地位のある人たちだった。

■デモの後、最初のオルタナティブスクール・森林小学校の校長が、学校ではないのに「学校」という名前をつけて学生募集をしたことが違法であるとして起訴される。のちに無罪判決。

■デモに参加した人たちが、その後、次々とオルタナティブスクールを設立。法的な根拠がない、運営主体は財団法人、行政に教育を実験する計画を提出、費用は自己負担・・・というように、合法的に私立学校になることができなかったので、オルタナティブスクールになるしかなかった。

■オルタナティブスクールに通うには、経済的な負担が大きい。例えば、1学期間の授業料は、公立なら1~2万円くらい、私立なら5~6万円くらい、オルタナティブスクールは40万円くらい+全寮制なら寮費も必要。

また、王さんは、「台湾の実験教育・オルタナティブスクールは、学校化される・学校になることを目指している」という点が、日本との大きな違いだと言われました。
「日本の場合は、教育機会確保法で多様な学びを保障する法律を作るからといって、全てのオルタナティブスクールが“学校になる”ことを目指しているわけではないですよね?」と。

このフォーラムに台湾から来られていたのは、おそらく王美玲さん1人だったのではないかと思います。
「日本の方とたくさん話ができて、最新の情報も得ることができて、とても感動した!」と言っていただきました。

<韓国>オルタナティブ教育を経験して見えてきたことと、東アジアのつながり韓国からのゲストは、おはいおさん。韓国出身で、現在は、九州在住です。

韓国初のオルタナティブな大学「緑大学」で学んだことや、日本との行き来、そして移住・・・
そんなご自身の体験から始まって、2つの国を行き来する中で見えてきたこと、これからの東アジアのつながりとは・・・というお話など、ざっくばらんに語ってくれました。

オルタナティブ教育を経験して学んだ「生き方」

私は、いろんなことをしています。
代替的な文化、人、空間、何でも継ぐ人、オンドル・かまど職人・・・。
だから、聞く人を見て、その人に合わせて、“私はこういうことをしています”と言っています。

これから熊本でフリースクールを始めますが、どっぷりオルタナティブ教育の世界に入っているわけではないし、韓国の教育事情や法制度のことを聞きたいということなら、あまり詳しくないんですよ。
ちょうど、この会場に、韓国の代案教育連帯の方がいらしているので、あとでそちらに質問してください。

でも、「東アジアのつながり」というテーマでなら、話せます。

小中高校までは、田舎町の学校でのびのびと過ごしました。
ニュースで、受験に挫折して学生さんが自殺したという話を聞いても、ピンとこなかったですね。
学校行くのは楽しかったし。勉強はしないで、授業は寝てましたけど。

都会にあこがれもあったので、ソウルの大学に入りました。
ところが、ソウルという場所と大学という場所に挫折して、心も体も壊れて、ある意味不登校になってしまいました。
がんばって2年くらいソウルにいましたが、やっぱり無理でした。
教育を受けて、大学を卒業したら、会社に入って・・・という道しかないな、と思っていたので、そこから外れてしまった自分は、先がないと思ってしまいました。

それから、世界を旅しようかな、と思っているときに、韓国初のオルタナティブな大学「緑大学」の1期生募集を見つけたので、入学しました。

それまで、小中高校のオルタナティブスクールはありましたが、大学は普通の大学しかなかったんですよ。
じゃあ新しい場を作ろう、となったのが、この「緑大学」でした。

暮らし、自給自足、医学、社会運動、精神的なこと・・・いろんなことを学びました。
年齢もいろいろ。
大変だったけど、面白かった。
大学で学ぶカリキュラムも、大学の予算も、毎日食べるものも、スタッフと学生が一緒になって決めて作ってきました。

緑大学には、新しい答えを見つけようとして入ったんだけど、問題だらけ。
ぶつかってケンカもしました。
真面目だからこそ、自分の価値観が正しい、と。
韓国の社会問題が、そこに表れていました。

でも、そこに行ったことで人生救われたな、と思いました。
結局、7年間過ごしました。

韓国と日本を行き来する中で、見えてきたこと

2009年に、「WALK9」という取り組みのスタッフをしました。
100日間かけて、日本と韓国の若者で、韓国全土を歩きながら一緒に過ごし、戦争や平和、原発のことなどを考えるという旅です。

そこで日本と縁ができて、行ったり来たりしているうちに、今の奥さん(日本の方)と出逢って、1週間後に結婚することになって、2011年から日本に住んでいます。

今も、日本と韓国を行き来しています。
フリースクールのツアーもやっています。

韓国に行くと、“日本は、なぜ?”と聞かれることが多い。
例えば、地震があって、原爆もあったのに、なぜ原発が動いているの?とか。

逆に、日本に来ると、“韓国は、なぜ?”と聞かれる。

なぜそうなのか、というのを、深く考えないといけないな、と思っています。

オルタナティブ教育に関しても、はじめるのは日本が早いけれど、韓国は、形にするスピードが速い。
日本から学んで、どんどん形にしている。数もすごく多い。
でも、それは単にスピードの問題。
それぞれに合ったやり方があるから。

教育は、国の哲学。
台湾、韓国、日本、3つの国は、アメリカがモデル。
アメリカになりたくて一生懸命がんばっている。
豊かな経済力を持っているけれど、国の思想って何?精神性って何?
日本の精神性は何か?というと、みんな答えられない。

東アジアのつながりから、これからの世界のことを考える

東アジア人の似ているところを、もっと見ていく時代じゃないかと思います。
日本語も韓国語も中国語も、言語が難しいのは、西洋みたいなイエス・ノーじゃないから。
“いろいろ”とか“なかなかね”とか、言葉だけ見たらわからない。
東アジア的な思想とか感情とか精神性は、すごく似ている。

日本人は、歴史に興味がないし、知らない。
それは、日本という国が、歴史を教えないから。
日本・韓国・中国・台湾と分かれているけれど、ユーラシア大陸の歴史を見ると、国境は次々と変化していて、中国だけでも何回も変わっている。
今は国境を分けていて、「日本人」という意識が強いけど、中国1つとっても、大きく変化している。
じゃあ、中国人て何だろう?日本人ってなんだろう?

東アジアの教育を考えることは、自分たちのコミュニティのことだけでなく、人類の新しい文明の教育を考えることにもつながる。重い責任を持っている。

単に隣の国の言葉を学ぶというだけじゃなくて、一緒に暮らせば、言葉はなくても、お互いを分かり合える。
最先端では、そういう動きも始まっている。
国は違うけど、思いは同じで、大家族になることができる。

<日本>東アジアの中の日本のこと

日本からの報告は、朝倉景樹さん。
東京にある「シューレ大学」というフリースクールから生まれた大学で教えておられ、世界のオルタナティブ教育の研究をしています。

「東アジアの中の日本のこと」というテーマで、次のようなお話でした。

大正時代の新教育運動から、現在のフリースクールまで

東アジアの中でと考えたときに、フリースクールやオルタナティブ教育は最近という印象があると思うけど、日本のオルタナティブ教育の歴史は、ふりかえると長い。
 
大正時代の新教育運動。1930年代にはサマーヒルの本が翻訳されている。
有名なのは、窓際のトットちゃんのトモエ学園や、自由学園など。
そして、今の流れのフリースクールは、1980年代から。

世界では、フリースクール=不登校の子どもが行くところ、ではない

日本では、「フリースクール」というと、「不登校」と結び付けて考えられることが多いけれど、そもそもフリースクールとは何だろう?

フリースクールは、もともと不登校とつながっていたわけではない。
不登校を経験した子どもを受け入れる場所は「居場所」と呼んでいた。
1990年代前半から、フリースクールと呼ばれるようになってきたし、そのように言うようにもなってきた。

韓国や台湾では、「オルタナティブスクール」といえば、国の制度による学校とは「違う」学校、という意味合いで使われている。(韓国では「代案学校」、台湾では「実験学校」、と呼ばれる)

フリースクールの世界大会があり(=IDEC: International Democratic Education Conference/国際デモクラティック教育大会のこと)、そこでは、韓国や台湾のオルタナティブスクールは「デモクラティックスクール」という言い方をすることが一般化しつつある。

日本では、「デモクラティックスクール」というと、「サドベリーですよね?」と言われることが多いけれど、必ずしもそれだけではない。デモクラティックにやっている学校のこと。

1993年に、「東京シューレ」(東京にある、不登校支援のフリースクールから生まれた学校)の子どもたちとアメリカのフリースクールの子どもたちで、交流をしたことがある。

その旅の中で、お互いの自己紹介をし合ったときのこと。
日本のスクールも、アメリカのスクールも、運営の方法とか、ミーティングがあったりとか、すごく共通する。やっぱりフリースクールだよね、という話になる。 

その自己紹介のときに、日本の子どもたちからは、不登校を経験した話が出てくる。
「私は小学校から不登校です・・」などと言うと、アメリカの子どもたちは「東京シューレという学校に行っているのに、なぜ不登校なの?」と不思議がる。
スクールに通っているのに不登校だと言うから、「なぜ?」と思うようだ。

日本の「不登校問題」とは、そもそも何か?

日本の不登校問題は、最初は、1980年代に精神科医が「登校拒否」を問題提起し、それが社会問題化したことから。

その頃、登校拒否は病気なのかどうかという大議論があったが、
その後、「日本の不登校は病気ではない」という見解になった。

欧米の場合だと、不安神経症の1つとして、「学校恐怖症」という病気が存在している。

日本の場合は、それを否定しているわけではないけれど、対象にしている子どもたちが違っている。
「学習指導要領に基づいた学校に合わない子どもがいる」ということを、社会が問題としている、というのが日本の不登校問題だと整理できる。

形が整うにつれて、幅が狭くなっていった日本の教育

戦後の民主化教育の時代には、面白い実践がたくさんあった。
その時期に学習指導要領が出るが、「試案」というものだった。
つまり、参考。この通りにやるのではなく、ガイドラインですよ、というものだった。

ところがその後、「従わなければならないもの」に変わっていった。

そのあともいろいろと変化があった。

教員も、変わってきた。
1970年代頃までは、専門のトレーニングを受けていない人も教員になれたので、教員の幅も広かった。

しかし、それ以降は、教員養成大学でトレーニングを受けて資格を持った人しか、教員になれなくなった。
正規のトレーニングを受けた先生が、学習指導要領どおりに授業をするようになり、授業の幅も、狭いものになっていった。

学校現場も変わっていった。

業者テスト、算数セット、絵の具セット・・・。
教科書も数社のものだけになった。
日本全国どこでも、みんな同じ条件でやることになった。

学校に合わない子どもが「問題」とされるようになった理由

学校のあり方は、狭く、きちんとなってきたけれど、子ども自体は人間なので十人十色。
だから、入れ物に合わない子が出てきた。

その合わない子に、「問題の子」というまなざしが向けられるようになった。

今は、不登校は個人病理とは言わなくなったし、誰にでも起こり得ることだと言われようになった。

ところが今も、「学校に行くのは当たり前」だと言われる。
学校に行くのは当然とほとんどの子は思っている。
だから、がんばって行っている。

でも、不登校になったら、「行かなくてもいい」ということを、知識としては知っている。
周りからも、「行かなくてもいい」と言われる。
じゃあ、「なんで行かなくていいの?」となる。

子どもたちは、社会がどう見てるか気になるし、気にしている。
「みんなが登校できるのに、行かなくてもいいと言われる私は、いったい何者?」と思ってしまう。
社会が、不登校の子どもを、弱い・繊細な子どもと見ているんじゃないか?というまなざしを感じる子がすごく多い。
そこからの自己否定感。

日本の学校には1つのメニューしかなく、狭い幅でやっている。
仮に、それがすごくいい内容だとしても、そこに当てはまらないといけないということは、過酷なこと。
そこに当てはまらない人は「自分は弱い」と思ってしまう。

これが、日本の不登校問題。

他の国には、日本のような「不登校」というアイデンティティは存在しない

韓国や台湾には、複数のメニューがある。
一般の学校に合わなければ、実験教育や代案学校に「転校する」という発想。
だから、「不登校」というアイデンティティは、ない。

日本では、「不登校になったからフリースクールにたどり着いた」という感覚が多い。
だから、自分は弱い人間だと思っている。

東アジアで共通しているのは、厳しい受験競争。
受験競争への批判として、オルタナティブ教育というものが存在する。

アジアで受験競争があるのは、コストのかからない方法だから

では、なぜ学歴信仰や受験戦争があるのか?
これは、インドやベトナムなど、他のアジアの国にもある。

日本・台湾・韓国は、入試にコストをかけていない国。
つまり、入試を行う側がコストを払っていない。
1回の試験をやって、点数で決めれば、選ぶ側にはコストがかからない。

その代わり、入試を受ける側、つまり子どもや親は、教育費や受験勉強など、ものすごい負担がかかっている。

欧米では、入試に専属のスタッフを雇い、レポートを複数で議論して決めている。選考にものすごく時間とお金をかけている。

オルタナティブ教育は、世界中でつながっている

世界の中でも、オルタナティブ教育は、今は少数で立場が弱いけれど、つながり合って情報交換しようという動きがある。

1993年からIDEC(International Democratic Education Conference)という世界大会が開かれている。毎年、やりたいところが手を挙げながら、継続している。
2000年には、日本でも初めて開催した。

この大会には、アジアの方もたくさん来るようになって、アジア太平洋地域ではAPDEC(Asia Pasific Democratic Education Conference)という地域大会が始まった。

いろんな立場の人が来ている。
つながりあうことで、抑圧感みたいなものから楽になったという人もいる。
将来までぜんぶ決まっている、みたいなこと。
そういうものから解放されたという参加者もいる。

日本の場合は、学校に行かない選択に、経済的な支援がない

他の社会を知ると、自分の社会で当然と思っていることが当然ではないことが見えてくる。
相対化ができる。
お互いのやり方を参考にできることもいろいろある。

例えば、日本では、学校に行っていない小中学生のうち、フリースクールに通っている子どもは1万人くらい。大半はホームエデュケーション(ホームスクーリング)というか家にいる。国の支援は何もない。

台湾が一番進んでいる。ホームデュケーション(ホームスクーリング)の家庭に、支援金が出る。
ニュージーランドも。グループホームデュケーションという概念があったり。

韓国・ソウルでは、フリースクールが行政と連携して、フルタイムスタッフ2人分の人件費が保証される。
また、公立高校から認可されていない高校に、1年間の内地留学ができる「オデッセイスクール」という制度がある。
オルタナティブスクールに入ってしまうと入試に対応できないのでは、という親もいるので、1年だけ体験できるというのはメリットだと考えられている。

ここ福岡も、行政がフリースクールに補助金を出すという先進県。
福岡は先進地なので、関心のある方は、動かれるといいと思う。日本の中での先進になる。

自分の学びを、自分が作っていってOK

多様な学びに今後必要になるもの。
「自分を中心に、自分が学びを作っていっていい」、という考え自体が、日本社会の中でまだ広まっていない。
その自分を中心にした自分の学びをやる人と、その人のやりたい学びに応えて対話をしてくれる人たちが必要。

おわりに

以上、2019年3月に開催された多様な学び実践研究フォーラムin九州のについて、担当した分科会を中心にまとめてみましたが、いかがでしたでしょうか?

東アジアの他の国のオルタナティブ教育・多様な学びのことを知ると、日本の置かれている状況が客観的に見えてくると、この記事を読み返してみて、感じました。

日本の社会で当たり前だと思われていることが、当たり前ではないこと。
そこに違和感を感じたら、違う選択をすることができるということ。
そして、「選択をしてOK」ということ。

そのことが腑に落ちると、少しずつでも、変化していくんじゃないかな、と思いました。

最後までお読みくださり、ありがとうございます。

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