APDEC2017in東京〜アジア太平洋地域のデモクラティック教育大会(Asia Pasific Democratic Education Conference)

はじめに

2017年8月1日~5日に東京で開催された、APDEC2017に参加してきました。
APDECとは、Asia Pacific Democratic Education Conference、直訳すると「アジア太平洋デモクラティック教育大会」。

デモクラティック教育の世界大会であるIDEC(International Democratic Education Conference)の、アジア太平洋地域版です。

アジア・太平洋地域の各地から、デモクラティックスクール、オルタナティブスクール、フリースクール、ホームスクーリング・・・といった、これからの教育・学びの場に、関わる人、学ぶ人、研究する人、関心ある人などが集まって、交流し、学び合う5日間です。

参加者は全部で約500人、約半数が海外からでした。
私たちも、九州から誘い合わせて、10人ほどで一緒に参加しました。

5日間、同時進行で、いろいろな企画が進行していました。
どこでも好きなところに行くことができ、また、自分でワークショップを企画することもできます。

毎日、こんなふうに、スケジュールが張り出されます。
何か企画したい人は、空いたところに書き込むこともできます。

この記事では、この大会で感じたこと・体験したことをまとめてみます。

各国のデモクラティック教育事情

毎日、午前中には、テーマを変えて基調講演がありました。
ここで、イギリス、オーストラリア、韓国、台湾、イスラエル、インド、日本と、各国のデモクラティック教育事情を聞くことができました。全て同時通訳付きだったのが、ありがたかったです。

基調講演で聴いた各国事情について、自分が理解した範囲で、印象に残ったことを書いてみます。

イギリス〜そもそも自由とは

世界で最も古いデモクラティックスクールである「サマーヒルスクール」の運営スタッフ・ヘンリーさんのトークでした。

デモクラティックスクールの基本である「自由」。
そもそも「自由」とは何か?サマーヒルにおける「自由」とは?

自由とは、子どもが自然に育つこと。子どもにとって必要なもの。
だけど、自由に育つことは必ずしも幸せとは言えず、そのままだとこわいものでもある。(例えば、誰かが上に立ったり、支配することもある)

個々の自由を守るために、自分たちで創り出したルールがあり、ミーティングがある。

では、ルールとは?ミーティングとは?

オーストラリア〜遊びを通して世界を理解

シドニーの「カランべーナスクール」のセシリアさんより。

オーストラリアとニュージーランドのオルタナティブスクールのネットワークも作っている。

オルタナティブな学校の財源の確保や、学校や居場所を開設することに関して、国の規制がある中で苦労してきた話・・・など。

遊びは世界の一部。自由な遊びがあってこそ、人は世界を理解できる。
自然の場所で子どもだけで遊ぶことの重要性や、子どもたちが自身を発揮できる場所を見つけることが親の役割である。

イスラエル〜社会の中で学びができる「エデュケーション・シティ」

イスラエルのヤコブさんより。

30年ほど前に、イスラエルで初めてのデモクラティックスクールをスタートさせた人であり、デモクラティック教育の世界大会=IDECを呼びかけた人でもあります。

イスラエルでは、今では、デモクラティックスクールという言葉を知らない人はほとんどいないくらい、全国に普及している。

「エデュケーション・シティ」=生涯にわたって、人とのつながりの中で自分の学びができる、社会の仕組みづくりを広げている

しかし、デモクラティック教育が一番ではない、もしかしたら間違っているかもしれない、と思うことはとても大事。
自分自身も今も学び続けている。そこがスタートになる。

そもそも、デモクラティック教育とは?デモクラティックスクールとは?デモクラシーとは?
それぞれ少しずつ意味が違っていて、これらを自問することがスタート。

インド〜対話の中で答えを発見するのが、もともとあった学びの文化

インドのアムクタさんより。
子ども中心の教育に長年携わってきた女性。
モンテッソーリスクールの校長も務め、今は、オルタナティブスクールなどのスタッフ養成をする学校の代表を務める。

インドには、植民地時代よりずっと以前から、そもそも学びの文化があり、
それは、グル(導師)と弟子の関係で成り立っている。
対話をする中で、自分で答えを発見するという学び方で、学びたいことを学ぶことができていた。

今は、学ぶ文化から教える文化に変わり、昔の学びの文化は失われてきた。
(古典芸能などの一部では残っている)。

1970年代から、NGOなどが主導の「ノンフォーマルエデュケーション」の波があり、公教育を受けられなかった人たちへ、あるいは公教育から離れた教育活動が盛んになり、それには、デモクラティックな要素も含まれていた。

現在は、学校の中においても、すべての側面においても、デモクラティックな文化をどう根付かせるか?が課題である。

韓国〜オルタナティブスクールを生み出した教育運動と、現在の課題

韓国では、1990年代、社会は新しく変わろうとしているのに、教育の世界は変わろうとしていない、という疑問があった。
学歴主義・学閥主義のプレッシャーから、10代の自殺が社会問題に。その頃に新しい教育運動がはじまる。

この運動の主な担い手は、1980年代に民主化運動をリードしてきた世代(1960年代生まれ)。
ちょうど親になった頃に、これまでの学校に疑問を持つようになった世代である。

そんな中、国の認可を受けない新しい形の小さな学校が、1996年にスタート。
これが、韓国最初のオルタナティブスクールである、ガンジースクール。
この頃から、オルタナティブ教育運動がスタートした。

最初は、新しい高校を作ることからはじまって、義務教育の小中学校へも広がり、保護者主体で作る小学校や、共同保育所なども作られていく。

2000年代になって、オルタナティブスクールの人気も高まったけれど、お金がないと入れない、基準が明確でないので、様々な学校が参入してきた、といった新たな問題も生まれる。

そして、オルタナティブ教育運動の初心を忘れてはいないか?そもそもどういう志で始めたのか?ということを、問い直し始めている。
(初心は、本来の居場所を取り戻す、無知や偽りから自由になる・・・といったことだと言われていました)

また、韓国では、オルタナティブスクールに国の補助金が出る制度がある。
政権交代で、若干の変更があり、今は、条件付きに。

制度を支えているのは、文化や人の態度である。
制度を変えていくには、それに見合った文化・態度が大切だ。

台湾〜国がオルタナティブな教育を認可

1987年に戒厳令が解除されてから、様々な社会運動が盛んになる。
教育においては、体罰をなくす取り組みがはじまったが、現在でも、まだなくなってはいない。
(制度の戒厳令は解除されても、人の心の戒厳令はなかなか解除できない・・・と言われていました。)

台湾も、他の東アジア諸国と同じく、入試や、校則が厳しいことなどが問題になる。

1994年に、台北で、最初のオルタナティブスクールがスタート。

1995年には、初めてのデモクラティックな中学校である「ホリスティックスクール」が誕生。
当時は、親の寄付で校舎を建てたが、それは、当時としては違法。
いつ撤去されても、逮捕されてもおかしくないリスクを覚悟しながら、継続する。
2000年には、民間の学校が設立できる法律ができ、それからは、条項を1つ1つクリアしながら、ホリスティックスクールは、認可された学校になる

現在、台湾では、オルタナティブスクールの設立は法的に認可されるようになり、学校に行かないホームスクーリングも国の認可が受けられるようになっている。
ホームスクーラーは、毎年どんどん増えている。
台湾政府は、実験的な教育を支持している段階。

しかし、オルタナティブスクールは学費が高く、富裕層でないと行けない、
ホームスクーリングの場合は誰かが家庭にいなければいけない、といった問題がある。

世界のデモクラティック教育運動の3つの時代

世界におけるデモクラティック教育には、次の3つの波があるというお話がありました。

1、20世紀初頭の新教育運動。日本では、大正時代。シュタイナー、フレネ、モンテッソーリなどの時代。イギリスのサマーヒルスクールは、この頃に開校。

2、1960年代。市民運動、社会運動、学生運動などの全盛期。おかしいと思ったら、自分たちで考えいいし、作っていいということが広がった時期。北米やオセアニアなどで、フリースクールが登場。

3、1980年代。現代の教育への行き詰まりが発端になっての新しい教育運動が、この頃から少しずつ広がっていく。東アジアでは学歴主義・学閥主義への行き詰まり、日本では不登校が問題になり始めた頃。

そして、現在まで、いろんなアプローチが交じり合い、重なり合っているということです。

日本におけるデモクラティック教育

日本のデモクラティック教育、デモクラティックスクールとは?

そもそも「デモクラティック教育」とは?
「デモクラティックスクール」とは?
日本語で言い換える言葉は、あるのでしょうか?
実際には、どんな意味合いで使われているのでしょう?

私自身も、改めて整理が必要かもしれない、と思いました。

オルタナティブ教育、フリースクール運動・・・といったことばも、似たような意味で使われることがあるようです。

総じて言えることは、人間にとって本来の教育とは何かを、見直し、実践してきた過程は、日本でも世界各地でも、ほぼ同じ時期に重なっている、ということです。

日本の学校・教育における特有の問題

日本では、不登校で悩むこと、子どもの生きづらさ、学校におけるストレス、10代の自殺・・・といった問題もあります。

なぜ、「苦しくても学校には行かなくてはいけない」となるのか?
なぜ、子どもが自分のことを自分で決められないのか?
違う育ちの場や生き方もある、今の選択とは違う選択をしてもいいということが、どうしたら必要な人に届くのか?

といった問いが浮かんできます。

デモクラティックであるとは、自分が自分自身であること。
自分で自分のことを決められること。
自分らしい生き方を選択できること。

問題があるから対処するのではなく、
はじめから自分らしい選択をする人・しようとする人が増えてくれば、
また違う道が見えてくるのかもしれない、と思います。

アジアのティーンエイジャーの交流

アジア各国の10代が集まる

私たちは、九州から、10代の人たちも一緒に参加していました。

会場を見まわすと、同じくらい世代の人がたくさんいるようです。

せっかくの機会、国を越えて、同世代の人どうしが出会う場があったらいいよね・・・と話しているうちに、「ティーンエイジャー・ミーティング」を呼びかけることになりました。

この呼びかけに、日本・韓国・台湾・香港の、10代~20代の人たちが集まりました。

進行役は、10代の女の子。

誰かが、自分の経験を話す。
話したくなった人が、次に話す。
これまで経験したこと、今感じていること、これからのこと・・・。

誰かが話し出すと、みんな、静かに、真剣に、聞いていました。
間に通訳をはさみながらでしたが、そのゆっくり流れる時間のおかげもあって、じっくりと聞き合う時間になりました。

誰かの経験の中に、必要な答えがあるのかも。
そして、常に自分の答えを探し続けている・・・。
そんな感じがしました。国は違っても、通じるものがある。

このミーティングのあと、国を超えたティンエイジャーどうし、
写真を撮り合ったり、わいわいはしゃいでいました。

東アジアの小さな交流がスタート!

この時の出会いから、小さな交流がスタートすることになりました。

さっそく来月(2017年9月)には、韓国・釜山へ。
九州のティーンエイジャーが、訪ねていく話がまとまりました

また、翌年(2018年)の春には、台湾へ。
九州のメンバーで、デモクラティック・スクールを訪問しに行きます。

おわりに

以上、2017年に開催された、APDEC(Asia Pacific Democratic Education Conference/アジア太平洋デモクラティック教育大会) in 東京に参加して、見たこと・体験したことをまとめてみましたが、いかがでしたでしょうか?

ここで出会えた人のおかげで、国内だけでなく、世界へとつながる糸口ができました。

ここからはじまる小さな交流。ゆっくりと育っていくのが楽しみです。


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