「IDEC 2014 in 韓国」に参加して② 〜韓国のオルタナティブ教育事情と、ソウルの街のコミュニティ作り〜

はじめに

この記事では、2014年夏に韓国で参加した、IDEC(International Democratic Education Conference)について書いています。その続編です。

この記事では主に、大会で知ることができた韓国のオルタナティブ教育事情、そして、ソウルの町でのコミュニティ作りについて書いてみます。

前回の記事は、こちら。

韓国のオルタナティブスクールの先駆け・ガンジースクール

韓国のオルタナティブ教育のはじまり

韓国で代替学校(オルタナティブスクール)がはじまったのは、1990年代です。
その頃、受験競争が激化し、高校は大学に行くためのものとなっていく中で、若者たちの自殺が社会問題となりました。

幸せでバランスのとれた人を育てたい。自分の人生を生きる人を育てたい。
現状を批判するだけでなく、実践することで示していきたい。

そう考える人たちの中で、公教育に替わる新しい高校を作ることから、韓国のオルタナティブスクールの歴史がスタートしたということです。

ガンジースクール~韓国で最初のオルタナティブスクール

「ガンジースクール」は、1997年に1校目を開校。
今では7つの学校(そのうち1つはフィリピン)を運営する、韓国におけるオルタナティブスクールの先駆け的な存在です。

ガンジースクールがスタートして以来、韓国各地で、オルタナティブな高校が、次々と開かれるようになりました。

ガンジースクールとは、どんな学校?

IDECの分科会の1つで、「ガンジースクール」の卒業生・保護者・先生が一堂に集まって話をしました。

その中で、「ガンジースクールとは、どんな学校?」という質問があり、スタッフや卒業生、保護者から回答がありました。以下に、その中で印象に残ったものをピックアップします。

「どうしたら自分の人生を変えることができるかを悩む学校」

「いろいろな体験を通じて、自分のことがわかるようになった」

「なんでもやってみる学校」

「人生の中のたったの3年間だけど、大きかった。何かを選択するとき、方向を決めるときの、ベースになっている」

「学校は、自分がどう生きたらいいのかを探す期間。その後の人生を、自信をもってすすめるようになった」

「自分が自由になりたかったから、子どもを行かせた」(保護者) 

「自分が学びたいことを学ぶときに、幸せになる学校。卒業生が、自分が選択した人生を生きていく学校。」

「卒業してからもずっと、心の中の田舎の家みたいな学校」

「自分だけの幸せでなく、他の人の幸せのために何かができる人を育てる学校」

小中学校のオルタナティブスクール

韓国では、1990年代に中学・高校のオルタナティブスクールが始まりましたが、それに続いて、2000年を過ぎた頃から、小学校へも広がっていきました。

IDECの大会中に、2校を訪問しましたが、どちらも初期の頃に開校した小中学校。
独自のカリキュラムを自分たちで決めていくスタイルで、「デモクラティックスクール」に近いものだと言われていました。

ビョプシ学校(種籾学校)〜都市郊外の自然豊かな場所で、生きる力を育てる学校

1つ目の訪問先は、光明(カンミョン)市の郊外にある「ビョプシ学校」。ビョプシとは、お米の「種もみ」の意味です。

2001年にYMCAが無認可の小学校を開校し、その後、中学校も開校。
現在は、小中学校で生徒90人、先生が20人ほどだそうです。

生活できる力をつけることに重きを置いており、小1から食事作り・献立作りを学び、週に一度はかまどで火を起こして調理、小3からはミシンで自分の服を縫います。
中3になると、1年間、ここよりもっと田舎の済州島で生活をします。

この学校は都市の郊外にあるので、寮生活ではなく、全員が通学しています。

また、この学校は、今回IDECのホスト役もつとめていたので、子どもたちや保護者や先生が、毎日、大会に通って来ていました。みんな、とっても元気!

子どもも保護者も先生も、一緒になって学校を盛り上げているという雰囲気を感じました。

サン学校(山の学校)〜手作りの小さな学校から、新しいステップへ

2つ目の訪問先は、「サン学校」。山の学校、という意味です。

開校は2001年。小中学校のオルタナティブスクールとしては、初期の頃にできた学校の1つだそうです。

現在の生徒数は、小学生68人・中学生15人。
やはり都市郊外の山の中にある、手作り感いっぱいのかわいい学校でした。

ところが現在、この場所に再開発の計画が決まって、住宅団地が建つことになったそうです。
そのため、来年には移転することになっているとのこと。

そして、今までの場所は借りていたけれど、移転先では土地を購入したそうです。
保護者の方の中に、建築やデザイン専門の方もおられるので、一緒に新しい学校をつくっている最中だということでした。

ソウルの街の若者コミュニティと、都市の農業公園・市民農園

IDECの大会6日目は、ツアーの日でした。
この日は、メイン会場を閉めて、全員が外へ出かけていきます。テーマ別に、10ほどのグループに分かれました。

私たちのグループは、ソウルへ出かけました。
20代~30代の若者たちが運営しているコミュニティと、ソウル市が運営する農業公園&市民農園を訪ねました。

光明(カンミョン)から、バスと列車を乗り継いで、ソウル駅に到着。

街での暮らしを一緒に考えるコミュニティ

1つ目の訪問場所は、20~30代の人たちが中心に作っている「ビンジブ」というコミュニティ。
シェアハウスでの暮らしをサポートしたり、この街でみんなと一緒にどう暮らしていくかを一緒に考える取り組みをしています。

韓国では、部屋を借りるためには、デポジットを払わないといけないそうです。
そのデポジットは、部屋を出るときには返金されるのですが、一度に払う金額が、少なくとも50万円、部屋によっては何百万円にも!若者にとって、支払いが難しいことが問題になっています。

そこで、コミュニティでは、銀行のようなしくみを作り、その銀行がデポジットを貸し付けて、何人かのグループで1つの家を借りてシェアハウスをする、という形を作っています。
こうして運営しているシェアハウスが、今では7軒ほどあるということでした。

また、単にシェアハウスで暮らすということだけでなく、今は、「みんなと一緒にどうこの街で暮らしていくか」を考えるようになったそうです。

2年ほど前には、カフェをオープン。

そこから、人が集まり始め、ネットワークができはじめました。
地域の活性化のためのお祭りを企画したり、一緒にご飯を食べる会を開いたり、地域通貨を作って地域の商店街で使えるようにしたり、みんなで雑誌を作ったり・・・と、いろいろな活動がはじまったそうです。

実は、私たちのツアーがここに来ることが伝わったのが、直前だったそうで、何も準備していなかった・・・というのが裏話(笑)
それからすぐに、携帯電話で連絡をとって、来れる人が駆けつけてくれたそうです。

そうこうしているうちに、このコミュニティについて説明できる人や、英語や日本語のわかる人がちゃんと現れたので、今こうして話ができている、と言われていました。

まさに、コミュニティのつながりを実感した出来事でした。

大きな川の真ん中の島にある、都市農業公園&市民農園

2つ目の訪問先は、ソウル市が管理している農業公園&市民農園。
大きな川(漢江)の真ん中にあるノドゥル島という島にあります。

ここでやっている農業は、全て、農薬を使わない有機栽培。
子どもたちの農業体験プログラムも行っています。
市民農園の競争率は4倍以上で、とても人気があるそうです。

「都市で農園をやる意味は、農業で生計を立てていくためではなく、教育の一環として、とても重要です。」と、担当の市職員さんが、熱く語ってくれました。

以前、この場所は、テニスコートだったそうです。
経営がうまくいかなくなって、5年ほど放置されていたのを、2012年にソウル市が買い取りました。(地価は100億円ほど!!)

それから、この場所をどう活用するか、市の職員の間でアイデアを公募した結果、農業公園にするというアイデアが採用されました。

その前には、市がオペラハウスを作るという計画もあったそうですが、その計画を変更して、農業公園にしたということです。
結果としては、うまくいった事例になったようです。

セウォル号沈没事故と、韓国の教育問題

IDECの大会の中で、フェリー・セウォル号の沈没事故の追悼のセレモニーが、2回ほどありました。

祈りのセレモニー。

公園でのパフォーマンス。黄色い傘と、黄色い折り紙の船を持って、静かに歩いていきました。

それまで全く風がなかったのに、歩き始めてから風が吹き出し、空には虹がかかり、きれいな夕焼けの空になりました。

セウォル号の沈没事故で、修学旅行の高校生のほとんどが亡くなってしまったのは、なぜだったのでしょうか?

聞いた話によると、沈没当時の様子が伝えられている動画では、沈没しはじめているときにも、船内にその状況は伝えられず、その場を動かないでください、という指示があり、生徒たちは、船内から動かなかったそうです。
その時間に、すでに、船の乗員たちは避難していたそうです。

傾き始めている船の中で、なぜ、彼らは大人の言うことを疑わずに、犠牲になったのか・・・。
このことが、教育の問題として、教育関係の方々の間で重く取り上げられているということを、今回韓国に行って、初めて知りました。

★セウォル号の事故について、韓国のオルタナティブ教育に関わる方々がどうとらえたか、IDECでお会いした朝倉景樹さんがブログに書かれているので、リンクを紹介します。
オルタナティブ教育海外訪問記 「韓国・夏⑨IDECセウォル号の事故について」

おわりに

以上、2014年に開催された、IDEC(International Democratic Education Conference )2014 in 韓国の8日間の大会について、見たこと・体験したことをまとめてみましたが、いかがでしたでしょうか?

ここからは、この大会に参加して感じたことを、少し書いてみます。

どこで何を選んでもOK、それぞれの体験が学び

いろいろなものがあるけれど、各自がどこにいて何をして過ごしていてもいい、という場でした。
まるで、期間限定のデモクラティックスクールみたいでした。

この場にいた人それぞれが、経験したことが違うので、自分には自分に必要なことがあったんだと感じています。

いろんな形の学びの場がある、ということ。自分が学びたいことを、自分で選べるということ。
1つの学校という場に限らずに、地域全体が学びの場で、それがゆるやかにつながっているということ。

大会は、ある意味、そんな場の体現だったんだなーと思います。

目の前で実践していることは、制度のずっと先を行っている

国によっては、ホームスクーリングや、公の学校に行かないという選択が、昔は非合法だったけれど今は堂々とできるようになったり、国のサポートが受けられるようになった、というところもあります。

そういう点は、日本は、「制度としては」まだまだこれからなのかもしれません。
でも、日本ならではで、育っているものはあるはずです。

話を聞いていて、どこの国でも、制度が整うことよりも、実践の方が、ずっと先を行っているものなんだと感じました。
制度が変わるのを待ってるよりも、今必要だから、今できることをやる、という感じで進んでいるんだと思います。

続けることが変化を生み出す

個々の動きが、ネットワークになって、ある瞬間から運動が始まり、変化が始まる。
新しい動きを今すぐはじめることはできなくても、準備をすることはできる。
そんな話を聞きました。

例えば、同じような思いや悩みを持つ人は、今は近くにいないように感じていても、必ずどこかにいるのだと思います。

つながっていくこと、そして、そのつながりの中で、今すぐにできること。あると思います。

大会で知り合った韓国の人が、まずは自分から、そして自分の家族からはじめたい、と言っていました。
その感覚は、私も大事にしたいと思っています。

自分にできることを、地道に、言い続ける、やり続ける、つながり続ける、ということ。
そして、その時々で浮かんだアイデアを、1つ1つカタチにしていくことを、これからも続けていこうと思います。

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